
小笠原です。 2009年10月24日19:33 Satoru Matsumoto <helios_reds@gmx.net>:
松本です。
どうも、真摯なお返事、ありがとうございます。 まず最初にお詫びさせてください。
しかしこの一言は必要でしょうか? について。
この点については、松本さんの一種の徒労感の現れであると 気づけなかった私が悪いです。申し訳ありません。 自分がいっぱいいっぱいだったといえ、松本さんの感情を推し 図れなかったことを恥ずかしく思います。
まず最初に、気分を害してしまっていたのであれば、申し訳なかったです。
この点についてはこちらこそ申し訳ありません。 一瞬ムカッときたのは確かですが (非常にテンパっている状況で メールをみたもので)、松本さんがどんな表情でその言葉を発して いるかは容易に想像できましたので、今はまったく気分は害して おりません。
# ていうか、(^0^) だとか (笑) だとかって、「そのまま言い切ってしまうと避 # 難、批判と受け取られかねないことに付けて『いや、けしてそんなに深刻な話 # じゃないですから』と和らげるような意味で使うもの」とばかり思ってたんで # すが、一般的にはそうじゃないんでしょうかね?
こっちにだけ反応すると、世の中にはいろんな反応をする人がいる、 そして Twitter や ML の書き込みは対象者(この場合は私) だけが 読むものではない。 だから、使い方は考えなきゃいけないなーと最近思っているところで はあります。
そして、単に気分を害した、というだけの話であれば直で文句を言えば済む(そ れができないような関係じゃないですよね?)ところを、あえてこちらに投げた という小笠原さんの意図を汲んで、いくつか考えているところを書いてみます。
意図を汲んでいただきありがとうございます。 ぶっちゃけムカついただけなら OWN の翻訳はもうやりませんと宣言 して UWN の手伝いにでも行くだけですから、意図はあくまでも私個人 の感情ではなく、コミュニティとか一人一人個人がオープンソースなど とつきあっていく上でどういうことを配慮するのが幸せにつながるのか、 ということを考えたかったからということになります。
【Weekly News を翻訳する意義】 前述の点はお詫びしましたので、この項は100%同意します。 私も同じ意義を感じて翻訳に参加していますので。
ちょっと脱線します。 私がコミュニティ活動に参加しているのは、「OS には選択の自由 があったほうが世の中もっと楽しくなる」と思っているからで、 Windows や Mac OS X に肩を並べる存在に Linux はなりました、 ただし全員 Ubuntu、ってのは、やっぱり好ましくないと思うのです。 だから OWN もやってるし、openSolaris の勉強会も出たりしてる。 Fedora と Debian は日本と海外のユーザ ML をフィードしてます。 で、openSolaris のコミュニティの人とこないだ話をして、「なるひこ さんが openSolaris のことブログに書いてくれるのはすごい感謝 してるんですよ。openSolaris のことは openSolaris のコミュニティ の人間しかブログに書かないのが当然だったので、それ以外の 人が言及してくれるのはそれだけでありがたい」という言葉を貰い まして。 ああ、アウトサイダーであることにも意味があるんだなーと思った 次第であります。 あとは枝葉ではありますが、
小笠原さんもしばしば「俺って何かの役に立っているのかな」というようなこと をつぶやかれたりしてますよね。
私のそれは 「成果を出しているのだけど、誰も役立てていないのではないか」 という感情ではなく、 「俺ってなにかやった気になってるだけで、実はなんの成果も出して ないんじゃないのか?」 という感情なので、少し違いますね。 あ、いっこ残っていた。
別の言い方をすれば、だれもが松本さんみたいにはなれないんです。
…これはあまりに過大評価されているというか。そんなスーパーマンじゃないで すよ。
えーとこの発言、実はオリジナルは私ではありません。 # 具体的にだれというのはもう忘れました。半年ぐらい前ですし。 この発言を聞いたときから、いつかこの類のメールは出した方が いいのかなぁと思っていました。 そりゃ Linus や RMS に比べたらアレですけど、松本さんは十分 すごいんですよ。英語もできるし、行動力もあるし、openSUSE に 対する愛も人一倍ある。 すごい人はすごい人とチャネルをもってしまうので自分がすごいと 気づかなくなる傾向がありますが、松本さんは十分すごい人です。 「いやすごくない、努力してる結果だ」とおっしゃるなら、その努力 ができることがすごいんです。 自己評価はともかく他者評価はそーではないか、と思う次第です。 という視点に立ったときに、松本さんの発言ってやっぱりけっこう 重いと思うんです。だから「もう少し頑張ってみたら?」みたいな 励ましの言葉ですら重荷になっちゃう人がいるのかなーなんて。 ……んー、だからどうしろということもなく。 ちょっと出すぎですね。すみません。 でも書いちゃったので残します。
【「Have a lot of fun !」について】
これは同意です。 ただ、ランナーズハイになるまで走りたい人もいれば、のんびり走りたい 人もいる。どっちも fun である資格はあっていいよね、とは思います。
【「敷居を下げる」ということについて】
えっと、私の表現がまずかったですが。 私の元メールでは一貫して「敷居を『上げる』」と書いたつもりです。 BoF とその後の飲み会で、敷居を「下げる」ことに意味はあまりない、 ということはコンセンサスがとれていると思います。 ので繰り返しては論じません。 ただし、わざわざハードルを上げるのはどうなんだろう、それは何か メリットがあるのか? ということです。
…というあたり、小笠原さんの被っている帽子はどちらかというと「赤い帽子: 直感・感情」かな、と思いますので、以下、私も赤い帽子を被ります。
ささっとブログを読んだ限り、「自分自身は一瞬ムッとした。ということは、 同じような表現その他が他者を不愉快にする可能性があるんじゃない だろうか?」という、元メールを書いたときの気分が、どれに当たるかよく 分からないというのが正直な気持ちですが、まあとりあえず赤い帽子だ ということにして、次は緑の帽子をかぶればいい……のかな?
「できるところをできるだけやってくれればそれで OK です。無理しないでいい ですよ」と、言うだけだったら簡単なことです。でも、そう言えるのって「…あ とは何とかこちらでしますから」という前提があるからこそなんじゃないかと。 逆を言うと、お膳立てやら後始末やらは引き受けるから、という覚悟も責任感も ないような人に「いいんですよ、やれるところだけで」と言われてしまうと、正 直カチンとくる。「いいんですよ、やれるところだけで」の後に続くのが「…あ とは私がやっておきますから」ならばとてもありがたいんですが、「…後は誰か がやってくれるから」だとしたら、その「誰か」って誰さ? って思ってしまう。
概ね賛成です、が。 オープンソースプロジェクトはなにより個人の楽しみのためにある、と 私は思っています(もっと高邁な思想を持ってる人もいるかもですが)。 楽しいから頑張れる、できる範囲で頑張る。それが基本ではないかと。 もしその範囲を逸脱してしまったら、それは単純にプロジェクトの能力 を越えたタスクをもってしまったということなので、バンザイするのが あるべき姿かと感じています。そこを歯を食いしばってやれ、という権利 は誰にもないのではないでしょうか? 歯を食いしばってやることが 楽しい、というならそれはまあ自由ですけど。
OWN の翻訳という作業だけに限ってみても、私が「できるところをできるだけ やってくれればそれで OK です。無理しないでいいですよ」と言っている場合、 それは、お膳立てとか最後の仕上げとかモロモロ手間のかかるところは私が引き 受けるから…と覚悟しているからです。みんな時間がとれなくて手が回らないよ うなら、最終的には私が見ますからいいですよ、と。
えーと、OWN については松本さんがバックエンドに控えてくださって いるのは非常にありがたいですが、ちょっと体調崩して寝込んで、 復活したのでいざやろうと思ったら全部終わってた、というところまで 頑張っていただくところは想定外と言うか……。 OWN-J は他のチームに比べもっとも早いデリバリーともっとも高い 品質であると思っていますが(そしてそれは松本さんの尽力による ところ大ですが)、だったら「進捗が悪いときは少し締切りを伸ばし、 ML でその旨通知する」とかのやり方はできないものでしょうか?
それと「敷居を下げる」ことに対して、具体的に提案って出てきているのかな?と。
こちらについては「(コストを払う)意味はない」というので私は合意 しているつもりなので、提案もとくにするつもりはありません。 ただし、ハードルを上げるような発言なりなんなり(先の「やりっぱ なしじゃ云々」のような)は避けた方がいいんではないかと思いま したが、これは一言で言えば松本さんもグチりたかったとのことな ので、しょうがないかなーと。
例えば、別メールで翻訳サブチームの皆さん宛に「EtherPad ってのがあるんだ <snip> でも、その提案に対して、反応が返ってこない…。「このような発言が、コミュ ニティへの敷居を上げている」というような反応は返ってくるのに、ね。
Etherpad については Gobby 上で話したときに、ちょっと使ってみて「良さそう ですね、でもチャットはダメですねー。追加でコメントあったら後ほど」とお話し たので、それで終わったと思ってました。 まあ、あの Gobby のチャットはこちらの都合で尻切れとんぼで終わってしま ったので、メールでもう一回投げてもよかったですね。その点についてはお 詫びします。 ということで #94 はもう遅いので、#95 からは Etherpad + opensuse-ja (それ ともチャンネル新設します?) でやる、に一票です。
OWN に限らず、具体的に何をすれば敷居を下げることになるのでしょうか? あ るいは、何をしないことが?
コミュニティではありませんが、元メールで触れた英会話についての 間違いの指摘は、気をつけないと「敷居を上げる」行為になりかねな いと感じています。 大抵の日本人は間違いを極端に恥じる傾向があります。日本人が 英会話ができないのはほぼこの一点のみが理由であると確信して います。間違えたってガンガン喋ればいいのに。 ただでさえそうやって間違いを恐れるあまり英語でのコミュニケーショ ンから逃げ回っている人が、「それ違うんじゃない?」みたいな指摘を 見てしまうことで、よりいっそう恐怖感を覚えることが私の懸念です。 具体的には、間違いを指摘した上で、「でも間違ってても喋ろうとする ことは大事だよね」と繰り返し言いつづけることかな、と思ってます。 まああの発言は Twitter だったので、140文字でそれは難しいか、 とも思いますけど……。 ちなみにこっちの方は自分自身でも「うわ! オレアホや!」と思った のでまったく感情は害していません。あくまで英会話恐怖症の人への ハードルを(別に利益もないのに)上げることに対しての懸念です。 # 単なる心配性かもしれんけど……。
OWN でも紹介した Zonker のブログで、「エンドユーザーを惹きつけるのは、 free ではなく、benefits だろう」ということが書かれています。エンドユー ザーを惹きつけるには、ということであれば私もまったく同意なのですが、で は、コントリビューターを惹きつけるものって何? あるいは、コントリビュー ターにとっての benefits って何?
一エンドユーザで終わらずコントリビュータになった人の benefits って、 究極的には fun しかないんじゃないかと思うんですが。 もちろん improvement も benefit ですが、これは improve することが fun だから、だと私は思ってます。 欧米だと学生さんとかが「俺はこの OSS コミュニティでこれやったぜ」 っていうと就職に有利になるとかいうけど、日本だとどうなんだろう?
そういうアイデアやヒントが出てくれば「じゃあ、試しにやってみようか」とい う具体的なアクションにつながっていくと思うんですよ。
どうでしょうか?
私も考えたいですが、openSUSE の実際のユーザの皆さんはどう 考えているのか、そこが知りたいところではあります。 以下、気恥ずかしいので消してしまいましたが、
どうもありがとう。
こちらこそ、拙い議論に付き合っていただき、感謝に耐えません。 オープンソースに関わるようになって、この世界には素晴らしい人 がたくさんいて、毎日毎日刺激をうけている。 ホントーに楽しいし、うれしいし、こころよりありがとうといいたいです。 今日は遅くなりましたのでこれにて。 [以上] -- Naruhiko Ogasawara (naruoga@gmail.com) -- To unsubscribe, e-mail: opensuse-ja+unsubscribe@opensuse.org For additional commands, e-mail: opensuse-ja+help@opensuse.org