[opensuse-ja] Re: [opensuse-ja] Re: [opensuse-ja] Re: [opensuse-ja] [FYI] Japan Linux Conference 2009 で openSUSE の BoF を開催します
小笠原です。 はとちゃんからコメントいただいたのですが DM になってしまっていたので 全文引用しつつ返信します。
はとちゃん@小江戸らぐです。
どうも、コメントありがとうございます。
来てくれる人に期待する気持ちというのはよく分かるんだけど、そうやって期待 すると、期待に添わなかったりすると失望も大きいですよね。小江戸らぐでも しばしば話題に上がるのですが、そういうときは他人に期待するよりも自分に 期待したほうがよいということを言います。
そうですね、その考え方はとても賛成です。 が、たとえば翻訳とか日本語関係のパッケージングなど、期日内にそれなりの クォリティで仕上げることが求められるものがあって、そういうものについては 「人増えてくれると嬉しいなぁ」と思うのは人としてしょうがないのではないかと。
敷居を下げるということも含めて、自分がやることをもっと自分自身が楽しめば 結果は後からついてくると思って、まずは楽しんでやるというのはどうでしょう。
もちろんそれは大前提で、でなきゃコミュニティ活動なんてだれもやらないです よね。辛いこともあるけど楽しい。そういうものだと思います。 ただそれはこっち側にいる人にしかわからない楽しさなのだとしたら、こっちは 楽しいとどうやってアピールするかというのが個人的関心です。
ということで、意味はないというのは、あまりにも狭い見方のような気がします。
これについては私の要約が不適切でした。 あくまでも「敷居を下げれば人がくるというのは幻想にすぎないかも」という問い かけで、「意味がない」とまでは誰も言い切っていないです。 ただし 「敷居をさげなくたって来る奴は来るし来ない奴は来ない」 「だから敷居をさげるより、別のことにエネルギーを割いた方がいいのでは」 というのはなるほどと思いました。 現に私なんか実力もないのにホイホイ手を挙げてるし。 結局、
面白さを伝えるっていうのも、十分敷居を下げるということではないでしょうか。
をどうとらえるかなのかなって気がします。
私が解釈した「敷居を下げる」というのは、
- 英語ができなくてもできる作業をアサインする
- 分からないときに気軽に相談できるシステムを作る
- 用事があるときや体調が優れないときには休んでよいという文化を
アピールする
などの面であって、「面白さを伝える」行為は、敷居の高さをそのままに、
それを飛び越えてこっちに来たくなるようにする別の行為ととらえていた
ので。
だから「面白さを伝えるっていうのも、十分敷居を下げるということ」なの
であれば、言いたいことにほとんど差はない気がします (^^)。
貴重なご意見ありがとうございました。
[以上]
2009年9月27日15:04 はとちゃん
はとちゃん@小江戸らぐです。
どうやって引用すればいいのか難しいので、適当にエディットしています。 小笠原さんの真意が伝わらないようだったら、訂正してくださいね。
* コミュニティ側としては敷居を下げよう、下げよう、と努力をしているが、 本当に敷居を下げたら人は来るのか。実際来ていない。だから敷居を下げて 人が来るというのは幻想にすぎないのでは。 o 以下飲み屋トークですが、敷居を下げて来る人は結局なにもしてくれない。 o 敷居を下げるのではなく、「こっちの世界は面白い」という方がずっと ずっと意義があるのではないか。
てーな内容でした。
来てくれる人に期待する気持ちというのはよく分かるんだけど、そうやって期待 すると、期待に添わなかったりすると失望も大きいですよね。小江戸らぐでも しばしば話題に上がるのですが、そういうときは他人に期待するよりも自分に 期待したほうがよいということを言います。
敷居を下げるということも含めて、自分がやることをもっと自分自身が楽しめば 結果は後からついてくると思って、まずは楽しんでやるというのはどうでしょう。
この敷居を下げるというプロセスも、自分自身のスキルをあげるのに役立つと 思っています。分かり難いことを分かり易く伝えるのって、とても重要ですよ。 僕自身、職場でLinuxを使っている人がほとんどいない現実は、相当深いキャズム があるように感じていますし、まぁそれがあるから仕事があるんだぐらいの 気持ちで、職場でも草の根運動を地道にしています。えーOSS推進部署がある職場 なのにこんな状態なので、他はもっとやりがいがある状態なんだろうなぁ創造 していますが...。
ということで、意味はないというのは、あまりにも狭い見方のような気がします。 きっと、この発言をした方も、いろいろな限定された状況では意味がないのではと いう主旨ではないかと。
「敷居を下げることに意味はない」
……この発言が一番効いたなぁ。
そうだよなあ、俺もラクだから OWN の翻訳やろうと思ったわけじゃないもんなあ。 面白そうだし、勉強になるだろうし、と思って、気づいたら「じゃ、手伝っていい ですか?」って聞いてたもんなぁ。
幻想なのか。そうなのかもしれないなぁ。
だから「これだけ面白いんだから、一緒にやろうぜ!」って語りかけをしないとだめ なんだなぁ。
うーん。なるほど。
面白さを伝えるっていうのも、十分敷居を下げるということではないでしょうか。 と全然openSUSEに関係ないことを語ってしまって失礼 (^◇^;)
Naruhiko Ogasawara さんは書きました:
小笠原です。
すっかり報告忘れてましたが、BoF についてブログ書きました [0]。 あくまでも私視点で、前後のいきさつとかそういうことはあえて目をつぶって 好き放題書いてますが、まあご笑覧くださいませ。
[0] http://d.hatena.ne.jp/naruoga/20090923/1253721223
本来ならちゃんと議事録でも取るべきだったんですが、喋るのに一生懸命 だったのとメモ用紙を忘れて (^^;)、こんな形でのご報告になることをお許し ください。
[以上]
-- Naruhiko Ogasawara (naruoga@gmail.com) -- To unsubscribe, e-mail: opensuse-ja+unsubscribe@opensuse.org For additional commands, e-mail: opensuse-ja+help@opensuse.org
松本です。 はとちゃんもどちらかといえば「中の人」で、ここで話題にしているのはあくま で Contribution についてだということを前提に。 Naruhiko Ogasawara さんは書きました:
はとちゃん@小江戸らぐです。
敷居を下げるということも含めて、自分がやることをもっと自分自身が楽しめば 結果は後からついてくると思って、まずは楽しんでやるというのはどうでしょう。
もちろんそれは大前提で、でなきゃコミュニティ活動なんてだれもやらないです よね。辛いこともあるけど楽しい。そういうものだと思います。 ただそれはこっち側にいる人にしかわからない楽しさなのだとしたら、こっちは 楽しいとどうやってアピールするかというのが個人的関心です。
何をもって「楽しい」と感じるかは人それぞれで、勉強や仕事が苦痛でしかない 人もいれば、楽しくってしょうがないって人もいる。また、例えば私なんかディ ズニーランドに行っても一体何が楽しいんだかさっぱり分からなかったりする…。 # 一度だけ強く誘われて行ってみたことがあるものの、あまりにもつまらなそう # にしていたものだから「もう二度とあなたは誘わない」と言われてしまったほ # ど(笑)。
ということで、意味はないというのは、あまりにも狭い見方のような気がします。
これについては私の要約が不適切でした。 あくまでも「敷居を下げれば人がくるというのは幻想にすぎないかも」という問い かけで、「意味がない」とまでは誰も言い切っていないです。
ただし 「敷居をさげなくたって来る奴は来るし来ない奴は来ない」 「だから敷居をさげるより、別のことにエネルギーを割いた方がいいのでは」 というのはなるほどと思いました。 現に私なんか実力もないのにホイホイ手を挙げてるし。
私があの場で投げかけたのは、ニュアンスとしては「でもさ、敷居を下げたから といって、それで本当に Contributer って増えてくれるんだろうか…?」という ことで、自分自身のことを振り返ってみたうえで他の人の考えが聞いてみたかっ た、という感じです。 直接の面識がある方ならご存知かもしれませんが、私、浦和レッドダイヤモンズ のいわゆる「ゴール裏の住人」でもあります。いまでこそそれほどとんがっては いませんが、私が「ゴール裏」で応援始めるようになったころ、そこはものすご く敷居の高い世界でした。「みんな、一緒にやろうよ!」じゃなくて「90分間声 出して、跳びはねられない奴は来るな!」でした。「ここにいて、応援してない 奴みつけたら蹴っ飛ばすからな!」でしたからね(笑)。 それでも、来る奴は来るんです。きっと「そこには何かがある」と感じるから。 スタジアムを快適な空間にする - 売店を充実させたり、トイレをキレイにした り、椅子をゆったりさせる - など、多くのお客さんに足を運んでもらうために は大切なことなんですが、「ゴール裏の住人」「どこのスタジアムにでも、休み をとってでも駆けつけるようなサポーター」が増えていくことには直接関係して いないと思います。 クラブ的には「家族揃って安心してサッカーを楽しめる空間を作っていく」とい うのはけして間違いじゃないんですが、でもそれだけでは、あまたある休日の過 ごし方の選択肢のうちの一つにしかならない。別に「そこ」じゃなければいけな い理由もないわけです。「そこでしか味わえない何か」があるから、リピーター になっていくのではないか、と。 先に例に挙げたディズニーランド、どこかで行った調査によると顧客満足度日本 一、つまり、リピーター率が日本一高い企業なんだそうです。おそらくディズ ニーランドにも「そこでしか味わえない何か」があるんでしょう。だからこそ、 開門何時間も前から並んで待つ人たちがいる。そして、園内にいる大部分の時間 を行列に並んだり場所取りしたりでただの待ち時間として費やすことになってし まったとしても、それも含めて楽しめるのでしょう。
結局、
面白さを伝えるっていうのも、十分敷居を下げるということではないでしょうか。
をどうとらえるかなのかなって気がします。 私が解釈した「敷居を下げる」というのは、 - 英語ができなくてもできる作業をアサインする - 分からないときに気軽に相談できるシステムを作る - 用事があるときや体調が優れないときには休んでよいという文化を アピールする などの面であって、「面白さを伝える」行為は、敷居の高さをそのままに、 それを飛び越えてこっちに来たくなるようにする別の行為ととらえていた ので。
だから「面白さを伝えるっていうのも、十分敷居を下げるということ」なの であれば、言いたいことにほとんど差はない気がします (^^)。
また強引にサッカーのたとえ話に戻してしまいますが「敷居を下げる」を「タダ 券を配って来てもらう」と同じような意味合いで考えてしまうと、きっとそれは 間違いだろうな、ということです。「タダ券もらったんで来てみた」という人と 「徹夜で並んでやっとチケット手に入れた」という人とでは、もう最初から「ど れだけ楽しめるか」に差ができてしまっています。 敷居は高いよ。でも、そこを乗り越えて入ってきてみれば、きっと今まで知らな かったとても魅力的な「何か」が見つけられる…というのもアリなんじゃないか と。もちろん、ストラクチャーとしていろいろな入り口が用意されていることを 否定しているのではなく、その入り口を入った先に何が待ち構えているか次第で 敷居の高さも変わるものだ、というか。 それと、中に入って夢中でやっている人自身は、あまり「楽しいかどうか」って *意識していない* んじゃないかという気がします。「どうしてそこまでのめり こんでるの? 何が楽しいの?」って他人から聞かれても、うまく説明できな かったりするんじゃないかな。少なくとも「何が楽しいの?」と聞いてくる人に それを言葉で説明するのは難しい。むしろ「いや、大変なことばっかりで、なー んも楽しくない」と言っている人ほど、実は自分の時間やお金を全部そこにつぎ 込んじゃってたりして、ハタからは「この人本当に楽しんでいるんだな」と見え たり。 あと、個人的な体験からすると、なんか中に入ったら面白そうな気がするんだけ ど、ドアを開く勇気がなくて、入り口前で立ちすくんでいるような時に、後ろか らポンと背中を叩いて「遠慮しないで、さあさ、入った入った」と後押ししてく れるような人がいるかいないか、けっこう重要だったりするんじゃないかという 気がします。自分が何かにのめりこんでいった時って、だいたいいつもそういう 人に恵まれていたなぁ、って。 あぁ…やらなきゃいけないことがいっぱいあるのに、こんなに長々書いてしまっ た。(^ ^;) -- _/_/ Satoru Matsumoto - openSUSE Member - Japan _/_/ _/_/ Marketing/Weekly News/openFATE Screening Team _/_/ _/_/ mail: helios_reds_at_gmx.net / irc: HeliosReds _/_/ _/_/ http://blog.geeko.jp/author/heliosreds _/_/ -- To unsubscribe, e-mail: opensuse-ja+unsubscribe@opensuse.org For additional commands, e-mail: opensuse-ja+help@opensuse.org
はとちゃん@小江戸らぐです。 超大作ですねぇ。 どうやって繋げていいのか分からないので、トップに書いちゃいます (^^ゞ 話はちょっとずれちゃっているので、最初にごめんなさいをしておきます。 レッズの話はとてもよく分かります。それほどでもないのですが、 その昔、いっときはFreeBSDのメーリングリストがそんな感がありました。 端的にいうと、学ばざるものはFreeBSDに触る資格なしみたいな。 えーちょっと言い過ぎかもしれませんので、割り引いて読んでください。 その当時対極にあったのが、Linuxのコミュニティで、タコは人を育てる というスタンスで、タコな人を何とかしようとする人は、教え方を工夫 するし、忍耐なども覚えるしで、いろいろ大変です。 でも、タコな人がここは自分でも大丈夫だと思うと、同じような人が 集ってくるし、タコは人はやがて育って後から来たタコな人に対し同じ ように接するようになります。そんなぬるま湯な世界に物足りなさを 感じる人は、他の先鋭的なコミュニティへと巣立っていくだろうかも しれないけど、それはそれでいいじゃないかと思っています。 ということで、間口を広げることはけっして無駄ではないし、少なく とも日本のコミュニティの中で、LinuxがFreeBSDより認知されている のはこれがあったからだと思います。もし同じような状況ならば、 大学の研究室などでBSD系な流れでしっかり根付いていたFreeBSD以上の 広がりってしていたのかなぁ。 確かに、貢献する人を確保したいという目的からすれば、砂漠でダイヤを 探すようなものかもしれませんが、人間何処で開花するのか分からない ので(自分もこれからだと思っています)、人を育てるなんてそういう ものだからと諦めずに長く続けられる方法を自分なりに見つけて実践して みてはどうでしょうか。 すでに人生のターニングポイントを回った僕としては、もうちょっと 焦れと思っているのですが、まぁこんな感じで小江戸らぐを見ています。 Satoru Matsumoto さんは書きました: > 松本です。 > > はとちゃんもどちらかといえば「中の人」で、ここで話題にしているのはあくま > で Contribution についてだということを前提に。 > > Naruhiko Ogasawara さんは書きました: > >>> はとちゃん@小江戸らぐです。 > >>> 敷居を下げるということも含めて、自分がやることをもっと自分自身が楽しめば >>> 結果は後からついてくると思って、まずは楽しんでやるというのはどうでしょう。 >> もちろんそれは大前提で、でなきゃコミュニティ活動なんてだれもやらないです >> よね。辛いこともあるけど楽しい。そういうものだと思います。 >> ただそれはこっち側にいる人にしかわからない楽しさなのだとしたら、こっちは >> 楽しいとどうやってアピールするかというのが個人的関心です。 > > 何をもって「楽しい」と感じるかは人それぞれで、勉強や仕事が苦痛でしかない > 人もいれば、楽しくってしょうがないって人もいる。また、例えば私なんかディ > ズニーランドに行っても一体何が楽しいんだかさっぱり分からなかったりする…。 > # 一度だけ強く誘われて行ってみたことがあるものの、あまりにもつまらなそう > # にしていたものだから「もう二度とあなたは誘わない」と言われてしまったほ > # ど(笑)。 > >>> ということで、意味はないというのは、あまりにも狭い見方のような気がします。 >> これについては私の要約が不適切でした。 >> あくまでも「敷居を下げれば人がくるというのは幻想にすぎないかも」という問い >> かけで、「意味がない」とまでは誰も言い切っていないです。 >> >> ただし >> 「敷居をさげなくたって来る奴は来るし来ない奴は来ない」 >> 「だから敷居をさげるより、別のことにエネルギーを割いた方がいいのでは」 >> というのはなるほどと思いました。 >> 現に私なんか実力もないのにホイホイ手を挙げてるし。 > > 私があの場で投げかけたのは、ニュアンスとしては「でもさ、敷居を下げたから > といって、それで本当に Contributer って増えてくれるんだろうか…?」という > ことで、自分自身のことを振り返ってみたうえで他の人の考えが聞いてみたかっ > た、という感じです。 > > 直接の面識がある方ならご存知かもしれませんが、私、浦和レッドダイヤモンズ > のいわゆる「ゴール裏の住人」でもあります。いまでこそそれほどとんがっては > いませんが、私が「ゴール裏」で応援始めるようになったころ、そこはものすご > く敷居の高い世界でした。「みんな、一緒にやろうよ!」じゃなくて「90分間声 > 出して、跳びはねられない奴は来るな!」でした。「ここにいて、応援してない > 奴みつけたら蹴っ飛ばすからな!」でしたからね(笑)。 > > それでも、来る奴は来るんです。きっと「そこには何かがある」と感じるから。 > > スタジアムを快適な空間にする - 売店を充実させたり、トイレをキレイにした > り、椅子をゆったりさせる - など、多くのお客さんに足を運んでもらうために > は大切なことなんですが、「ゴール裏の住人」「どこのスタジアムにでも、休み > をとってでも駆けつけるようなサポーター」が増えていくことには直接関係して > いないと思います。 > > クラブ的には「家族揃って安心してサッカーを楽しめる空間を作っていく」とい > うのはけして間違いじゃないんですが、でもそれだけでは、あまたある休日の過 > ごし方の選択肢のうちの一つにしかならない。別に「そこ」じゃなければいけな > い理由もないわけです。「そこでしか味わえない何か」があるから、リピーター > になっていくのではないか、と。 > > 先に例に挙げたディズニーランド、どこかで行った調査によると顧客満足度日本 > 一、つまり、リピーター率が日本一高い企業なんだそうです。おそらくディズ > ニーランドにも「そこでしか味わえない何か」があるんでしょう。だからこそ、 > 開門何時間も前から並んで待つ人たちがいる。そして、園内にいる大部分の時間 > を行列に並んだり場所取りしたりでただの待ち時間として費やすことになってし > まったとしても、それも含めて楽しめるのでしょう。 > >> 結局、 >> >>> 面白さを伝えるっていうのも、十分敷居を下げるということではないでしょうか。 >> をどうとらえるかなのかなって気がします。 >> 私が解釈した「敷居を下げる」というのは、 >> - 英語ができなくてもできる作業をアサインする >> - 分からないときに気軽に相談できるシステムを作る >> - 用事があるときや体調が優れないときには休んでよいという文化を >> アピールする >> などの面であって、「面白さを伝える」行為は、敷居の高さをそのままに、 >> それを飛び越えてこっちに来たくなるようにする別の行為ととらえていた >> ので。 >> >> だから「面白さを伝えるっていうのも、十分敷居を下げるということ」なの >> であれば、言いたいことにほとんど差はない気がします (^^)。 > > また強引にサッカーのたとえ話に戻してしまいますが「敷居を下げる」を「タダ > 券を配って来てもらう」と同じような意味合いで考えてしまうと、きっとそれは > 間違いだろうな、ということです。「タダ券もらったんで来てみた」という人と > 「徹夜で並んでやっとチケット手に入れた」という人とでは、もう最初から「ど > れだけ楽しめるか」に差ができてしまっています。 > > 敷居は高いよ。でも、そこを乗り越えて入ってきてみれば、きっと今まで知らな > かったとても魅力的な「何か」が見つけられる…というのもアリなんじゃないか > と。もちろん、ストラクチャーとしていろいろな入り口が用意されていることを > 否定しているのではなく、その入り口を入った先に何が待ち構えているか次第で > 敷居の高さも変わるものだ、というか。 > > それと、中に入って夢中でやっている人自身は、あまり「楽しいかどうか」って > *意識していない* んじゃないかという気がします。「どうしてそこまでのめり > こんでるの? 何が楽しいの?」って他人から聞かれても、うまく説明できな > かったりするんじゃないかな。少なくとも「何が楽しいの?」と聞いてくる人に > それを言葉で説明するのは難しい。むしろ「いや、大変なことばっかりで、なー > んも楽しくない」と言っている人ほど、実は自分の時間やお金を全部そこにつぎ > 込んじゃってたりして、ハタからは「この人本当に楽しんでいるんだな」と見え > たり。 > > あと、個人的な体験からすると、なんか中に入ったら面白そうな気がするんだけ > ど、ドアを開く勇気がなくて、入り口前で立ちすくんでいるような時に、後ろか > らポンと背中を叩いて「遠慮しないで、さあさ、入った入った」と後押ししてく > れるような人がいるかいないか、けっこう重要だったりするんじゃないかという > 気がします。自分が何かにのめりこんでいった時って、だいたいいつもそういう > 人に恵まれていたなぁ、って。 > > あぁ…やらなきゃいけないことがいっぱいあるのに、こんなに長々書いてしまっ > た。(^ ^;) -- To unsubscribe, e-mail: opensuse-ja+unsubscribe@opensuse.org For additional commands, e-mail: opensuse-ja+help@opensuse.org
小笠原です。ただの感想。 「タコは財産」は Linux の文化、ってのは、Linux 256 本 (ついこないだ 本棚から発掘されて読んだ) にも書いてありましたね。 実際コミュニティにおける一番最初の貢献は「使うこと」「使っていると表 明すること」だったりするんですよね。 でないと upstream との交渉において「だってユーザーいねーじゃん、 だから後回し」となってしまうので。 そういう意味で、まず使う人、使って何かやる人、そういう人に対しての 敷居は低くあるべき。それはもちろんそうです。 一方で、コア開発者、コア貢献者をふやすという観点からいうと、ユーザ ーが多いからといって貢献者が増えるとも限らないわけでして。 実際、コミュニティベースではもっとも Ubuntu でさえ Ubuntu Weekly News は発行一月遅れというのが現状なわけで (もち批判じゃないです)。 確かに長い目で見ていけばときに元気な人がポンッと入ってくれるのか もしれないけど、待ってるだけでいいのか、それともある意味強引に引き ずりこんででもコアな世界を見せてあげて、そこに魅力を見出してくれる ことを期待するのか、どれがコミュニティにとっても一ユーザにとっても幸 せな道なのかなぁ、と思う次第でありました。 ちなみにこれはちょっとオフトピですが、小江戸らぐは緩くて入りやすくて 継続性があって結構面白いこともあってステキなコミュニティですが、 ステキすぎる半面、小江戸の中だけで問題解決してしまって、それぞれ のコミュニティにその問題解決なりノウハウが伝わっていないような気が してそれがとても残念なところだと感じていました。 いやもちろん、本も出してるし ML もあるし、そこに参加して見ればいい じゃねえかと言われればそうなんですが、そりゃ無理ってものでしょう。 そういう意味で、ここではとちゃんが議論に参加してくれていることは、 非常にステキなことだと思います。 で、最後にお断りですが、この議論とても有意義なので、私のブログの 追記として ML アーカイブのリンク張らせてもらいますね。 [以上] -- Naruhiko Ogasawara (naruoga@gmail.com) -- To unsubscribe, e-mail: opensuse-ja+unsubscribe@opensuse.org For additional commands, e-mail: opensuse-ja+help@opensuse.org
わたなべ@まだ夏ばてです。
私も小笠原さんに同意見で、まずはみてるだけじゃなくて触ってほしいと思いま
す。
わからなかったらMLなり聞いてくれればよいんですけれども、わざわざ冒険犯し
てまでLinux触ってくれないんですよね。
従って、Windowsが全部入り状態だからサーバーも全部入りでいいよねといった構
築がまかり通ってしまっている現状(これはうちの職場)、Windowsと違って何が得
意で何が不得手なのかをはっきりさせる必要もあるのかなぁと個人的には思って
しまいます。
聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥ということわざもあるくらいですから、勇気を
出して聞いてもらいたいものです。
Naruhiko Ogasawara
小笠原です。ただの感想。
「タコは財産」は Linux の文化、ってのは、Linux 256 本 (ついこないだ 本棚から発掘されて読んだ) にも書いてありましたね。
実際コミュニティにおける一番最初の貢献は「使うこと」「使っていると表 明すること」だったりするんですよね。 でないと upstream との交渉において「だってユーザーいねーじゃん、 だから後回し」となってしまうので。 そういう意味で、まず使う人、使って何かやる人、そういう人に対しての 敷居は低くあるべき。それはもちろんそうです。
一方で、コア開発者、コア貢献者をふやすという観点からいうと、ユーザ ーが多いからといって貢献者が増えるとも限らないわけでして。 実際、コミュニティベースではもっとも Ubuntu でさえ Ubuntu Weekly News は発行一月遅れというのが現状なわけで (もち批判じゃないです)。
確かに長い目で見ていけばときに元気な人がポンッと入ってくれるのか もしれないけど、待ってるだけでいいのか、それともある意味強引に引き ずりこんででもコアな世界を見せてあげて、そこに魅力を見出してくれる ことを期待するのか、どれがコミュニティにとっても一ユーザにとっても幸 せな道なのかなぁ、と思う次第でありました。
ちなみにこれはちょっとオフトピですが、小江戸らぐは緩くて入りやすくて 継続性があって結構面白いこともあってステキなコミュニティですが、 ステキすぎる半面、小江戸の中だけで問題解決してしまって、それぞれ のコミュニティにその問題解決なりノウハウが伝わっていないような気が してそれがとても残念なところだと感じていました。 いやもちろん、本も出してるし ML もあるし、そこに参加して見ればいい じゃねえかと言われればそうなんですが、そりゃ無理ってものでしょう。
そういう意味で、ここではとちゃんが議論に参加してくれていることは、 非常にステキなことだと思います。
で、最後にお断りですが、この議論とても有意義なので、私のブログの 追記として ML アーカイブのリンク張らせてもらいますね。
[以上] -- Naruhiko Ogasawara (naruoga@gmail.com) -- To unsubscribe, e-mail: opensuse-ja+unsubscribe@opensuse.org For additional commands, e-mail: opensuse-ja+help@opensuse.org -- To unsubscribe, e-mail: opensuse-ja+unsubscribe@opensuse.org For additional commands, e-mail: opensuse-ja+help@opensuse.org
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